共にゆくお前に告ぐ
――移ろい征く空の色
「ディーク」
日が落ちて既に久しく、暗い空には月と無数の星が浮かぶ。
街道脇、むき出して転がる岩の傍に人影が二つ、静かな夜に溶け込むようにそこにあった。
ディークと呼ばれた男は無言を貫いていた。無言のまま、視線だけがもう一つの人影に向けられる。赤い髪と瞳が炎に照らされて、本当に燃えているかのようだ。
彼はただじっと、向かい合うように地面に座る女性――ライティスに目を向ける。
夜の闇に溶けるような漆黒の髪と瞳。なのに、どこかそれ自身が光を放っているかのように艶やかで美しい。
彼女と出逢って、黒は彼の最も愛する色に、夜は彼の最も愛する時間になった。愛しいものを思い起こさせる、それらは。
呼びかけたきり口を開こうとしないライティスを不思議に思い、ディークは首を傾げて疑問を表した。
口に出すことを躊躇っているような、そんな様子。普段の彼女からは想像もつかないその様子に、ディークは疑念を隠せない。自然、表情が曇る。
ライティスは暫し言葉を探すように唇を開閉させると、やがてゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「お前さあ……お前、どこまでオレについてくるつもりなんだ?」
ぴくり。薪をくべようとしていた手が、一瞬の震えの後に止まる。
思わず向けた視線に、どこか恨みがましいものが混じっていたのは仕方のないことだったのだろう。
「言っとくが、別についてくんなとか言ってるわけじゃねえからな」
今更んなこと言わねえよ、と顔を顰めて呟いた彼女に、ディークは表情を変えずに、しかし心の底から安堵して体の力を抜いた。
突き放されてしまったら、どうしていいか、わからなくなる。
ただな、と彼女が続けようとする。
あまり聞きたい気分ではなかった。
今日の彼女の言葉はあまりに唐突にすぎて、言外になにか彼にとって受け入れがたいことを言おうとしているかのように聞こえた。
「お前の帰る場所は、もう、オレの隣だけじゃないんだぜ?」
生きていける場所はある。無条件に受け入れてくれる場所がある。
それがなんだろう。
彼女はわかっていないのだ。
それでも彼にとっての居場所は、今この場しかないということを。
その深い黒を見つめていることができずに、ディークは燃える炎へと視線を逸らした。
手が薪を持ったまま不自然な形で止まっている。そんなことを気にかける余裕すら、今の彼には存在しなかった。混乱しきった頭の中では何の思考もまとまらず、ただこのまま時がすぎて彼女の話が終わるのを待っていた。
このまま話が終わってしまえばいいと思っていた。
そんなディークの思考を読み取ったのか、ライティスは深いため息をついて再び顔を顰めた。
まるでなにかに躊躇って、躊躇っているというその事実に苛立っているかのような表情だった。ちらりと一瞬視線を向け、見えた表情にそうディークは考える。
元来躊躇という言葉とは無縁な人だから、その状態を持て余しているのだろう。
もう話は終わりにしてほしいと、そう伝えればそれで終わったのかもしれない。けれど、どうしても今は視線を合わせることができなかった。
「なあ、もうひとつ聞いていいか?」
いやだ、と、言ってしまいたかった。そんなこと彼にとっては天地がひっくり返ったって出来ることではなかったのだけれど。
合わせ難かった視線を半ば無理やりに合わせる。それだけで肯定の意は伝わったらしく、ライティスはゆっくりと口を開く。
「お前さ」
どうして嫌な予感というのはこうも当たってしまうのかと、ディークは、この時ばかりは自分の妙な所で鋭い勘を呪いたくなった。
「オレが死んだら、お前はどうするんだ?」
その直後の行動は、ほぼ無意識のうちに体が動いたものだった。
両腕を体に回してきつく力を込める。黒髪の揺れる肩口に顔を埋めると、それきり動くことすらできなくなった。ただ、腕に込めた力だけは抜けないまま。
それは抱きしめるとか、そんななにかを与えるようなものじゃなくて。どちらかといえば、子供が母親に縋りつくような、そんなもの。
捨てないで、と。子供が親に無意識の行動で無償の愛を要求する、そんな情けない行為だった。
男の自分に比べれば酷く細い背に回した腕が、馬鹿みたいに震えているのが自分自身本気で情けないと思う。
それでも、今はそれくらいしか、自分の想いを伝える術を知らなかったから。
嘘でも冗談でも、そんなことは口にしないでほしかった。
たとえそれが、そう遠くはない未来に起こり得る現実のひとつだったとしても。
彼女のため息が肩に、微かな振動として伝わる。そのため息にすら反応して体が揺れるのだから重症だ。
「……ったくお前ってほんっと、大馬鹿野郎だな」
呆れを含んだ声の後に、ライティスはディークの頭の上にぽんと手を乗せた。紅い髪を、くしゃりとかき混ぜるようになぜる。
親が駄々をこねる子供をあやすようなそれに、しかし不快感は感じなかった。元より、彼女から与えられるものに不快と思うことはありえない。
「お前が望むなら、オレは最期までお前の傍に居てやるよ」
珍しい、と思った。彼女は不確定なことを不用意に口にはしない。彼女の言葉はいつだって彼女自身の実力と自信に裏付けされたものであって。だからこそ全幅の信頼をおけるものであって。
最期まで、なんてそんなこと、誰にもわかるはずがないのに。
「……お前、オレの言うこと信用してねえな?」
顔は見えなくても声だけでわかる。きっと不機嫌そうな顔をしているはずだ。
それでもディークは腕の力を緩めなかった。もはやそれは意地にも近かったのかもしれない。
「だあっ! おいこら、いい加減ちょっと手ぇ離しやがれ!」
苛立ちが低い沸点にまで到達したのだろう。声を荒げて頭を軽くはたかれて――本当に軽くだ。拳でなかったんだから――ディークは漸く腕の力を抜いた。
きっと情けない顔をしていたに違いない。それなのにライティスの黒い瞳はこれでもかというほど真っ直ぐに見据えてくるから、目を逸らしたくても逸らすことが出来なかった。
「知らなかったか? オレの言葉に二言はねぇんだよ。
お前がどうしてもっつーんなら、オレはお前をどこにだって連れて行くし、いつだってここはお前のために空けといてやる。お前が死ぬまで、ここをお前の居場所にしてやる。
でもって、もし万が一俺がお前より先に死にそうになったら、そん時は」
彼女は、その整った顔に凄絶な笑みすら浮かべて。
「オレがこの手で、お前を殺してやるよ」
告げられたその言葉はきっと、最期まで共に在りたいと思う者にとっての、これ以上ない最高の殺し文句だ。
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