一蓮托生
 



――xxx


「僕が後悔してるって言ったら、君はどう思う?」
 少年の静かな問いかけに、男は無言で視線を向けた。男の手元の本が半端にページをめくられ、よれた紙がカサリと音を立てる。
 少年はサイドテーブルの上の花瓶に活けてあった花を一輪手に取り、弄いながら男の返答を待っていた。手折らないように、優しく。まるでその形を確かめるかのように。

 実際のところ、本当に返答を待っているのかどうか、男には判断がつかなかった。
 常ならば薄い笑みの張り付いているはずの秀麗な顔が、今は何の感情も浮かべずそこにある。無表情は男の専売特許であったはずだが。
 なまじ美しい顔立ちであるだけに、まるでそこにあるのは職人の作りあげた酷く精巧な人形であるかのような、そんなそら恐ろしい錯覚に陥りそうにすらなる。
 そんなはずないのに。大理石のよう、と評される白く滑らかな肌は、しかし暖かさを持った人の肌だ。傷を知らない繊手は休むことなしに、瑞々しい花を弄い続けているというのに。

 男は読んでいた本を音も立てずに閉じ、サイドテーブルの上に置いた。
 別のことをしながら会話したとして少年はきっと男を咎めることはなかっただろうが、少年の様子が男にそうすることを憚らせた。
 男は少年を見たまま、ゆっくりと口を開く。少年の視線は男には向かず、手中の花に向けられたままだ。

「後悔、しているのか?」
 音を出し難い沈黙の中、それでも絞り出した言葉は自然に問いの形となった。
 動揺しているわけではなかったが、珍しい様子の少年に調子が狂うのは確かだ。

「わからない」
 問いに問いで返した男に、少年は文句を言うでなく一言答えた。
 まるでその問いが返ってくることを初めから予測していたかのような、迷いのない答えだった。
 少年は相変わらずの無表情のまま、手の中の花を眺めている。否、実際には見えているはずがない。
 視力を失って久しい少年は、その代替品のように手に入れた力によってまるで常人のように生活しているが、目は光をとらえる程度にしかその機能を果たしていないはずだ。

 少年には、その花の色すらわからない。

 花びらを一片、人差し指と親指の間に挟んで引く。
 ぷつり、微かな音と共にむしり取られた花弁は、少年の指から離れ重力に従い床へと舞い落ちる。


 迷っているように、見えた。


「後悔は、してないと思う。多分。もしかしたらちょっとは、してるのかもしれないけど。
 ……でもいつも、考えてる。今僕がやってることは、本当にあの子にとって最善なのか、これ以外に他に、もっといい方法はないのか……って」


 少年は神ではない。


 徐々に失われていく体の機能と引き換えに力を手に入れた少年は、それでも神ではなく一人の人間なのだ。
 故に間違えもするし、間違いに気づかないことだってある。

 それはきっと正しいことなのだ。

 男が共に在る少年は、世界を自分の思い通りに動かす神なんかじゃない。
 どうにもならない世界の中で足掻いて、もがいて、それでも必死で生き続ける、人間なのだ。
 男と同じように。

 少年は手にした花に唇を寄せた。
 一枚の絵のような光景を、男はただ黙って見つめていた。

 後悔すればいい。
 口には出さずにそう思った。


 後悔すればいい。


 迷って、立ち止まって、這いつくばって。
 それでも前を向いて進めばいい。
 そうやって人として生きて、最期まで人として死んでいけばいい。

「俺はお前と共に在る」

 今はそれだけ伝わればいい。
 なにが伝わらなくとも、ただ、ただ互いの目的のために共に在る存在がここにいると、伝われば。

「お前は俺に、俺の目的を達するためにお前を利用すればいいと言った。
 ならお前も、お前の目的を達するために俺を利用すればいい。そういう約定のはずだ」

 だからそれまでは共に在る。

 男は少年の目的を叶えるために少年の傍にあり、少年は男の目的を叶えるために手を貸す。
 約定は絶対であり、それは互いの目的が達せられるまで終わることはないのだ。決して。どちらも途中で降りるつもりはないのだから。


 最期の瞬間まで、共に。

「うん、そうだね」

 白百合を携えた美しき少年は。
 無垢な天使でもなければ、天上の神でもない。
 地を這い、この世界の上で生きる、一人の人間だった。


 彼らは互いに互いの望みを託した、強くて弱い一個の、人間だった。

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