二輪の櫻



――帝王論理


 立ち並ぶ緑を纏った木々の間に、後姿が二つ。
 一つは背の高い、黒髪の青年の後ろ姿。真っ直ぐと立つその姿には隙がなく、乱れのない服にも青年の性格が表れている。
 もう一つは黒髪の青年に比べれば低めの身長の、すらりとした華奢な体つきの少年の後ろ姿だった。伽羅色の髪は木漏れ日の光を浴びて、黄金色に輝いている。

「ここならいいだろう。さて、じゃあ頼んだよ」
「お前な……少しは手伝ってやろうとかそういう気遣いは」
「まったくないね。大体アル、お前は私に肉体労働をさせる気か?」
 伽羅色の髪の少年は尊大なまでに胸を張って、当然のごとくそう答える。
 それが不思議とハマっているのだから、黒髪の青年は言葉を失う。
 青年――アルの唇からはかろうじて、溜息だけがこぼれ出た。
「わかった。わかったよ。
 お前が手伝ってくれるなんて最初から思っちゃいない。言ってみただけだ」
 首を左右にゆるゆると振りながら口を開く。言葉には、最初から期待など微塵も含まれておらず、あるのは諦念の響きだけだ。
 どうやらこの青年、最初から隣に立つ人物が自分で行動を起こすとは思っていなかったらしい。その証拠に、準備された道具は一人分だけ。
 一人分の、スコップ。当然子供の砂遊びようではなく、土を掘り返す通常の大きさのもの。それでも背の高い青年にしてみれば、若干小ささを感じるのは否めないが。
 はあ、ともう一度深いため息をつくと、アルは無言でその場に穴を掘り始めた。

 ざくざくざくざく
 穴掘り男と化したアルは、無言で土を掘る。掘る。掘る。少年は隣でその光景をただ傍観していた。一種異様な光景だ。

「アル」
「……」
「アル」
「…………」
「……下僕一号」
「誰が下僕だ! 誰が!」
 無言を貫いていたアルが、少年が間を開けてぽつりと呟いた言葉に反応していきり立つ。
 そんなアルに対して、少年は腕を組みフンと鼻を鳴らし、尊大な態度を崩さない。
「聞こえているなら返事くらいしろ馬鹿者が」
「嫌な予感がしてんだよ。どうせろくな事じゃないんだろうが」
「暇だ」
 にべもなく突き返された一言に、アルは本日三度目の溜息を禁じえなかった。
「……コーダ」
「何だ」
 コーダと呼ばれた少年は尊大な態度のまま、アルの言葉を促す。
「俺が今、何をしているように見える?」
「穴を掘っているように見えるな」
 馬鹿にしているのか、と言わんばかりの態度で答える。アルの顔が少しずつ歪んでいく。
 例えるなら、げんなり。
「俺に穴を掘れって言ったのは、誰だ?」
「私だな」
 げんなり。まさにそんな表情だ。
「そこまでわかっててお前は、その上で俺に暇だとかぬかすのか」
「暇だからな」
「お前は俺に一体どうしろって言いたいんだ」

 コーダのわがままは今に始まったことではない。そうわかっていても、どうにもしようがない。
 アルは深々と、本日四度目のため息をはいて作業を中断した。
 穴はまだ、目標の半分ほどしか掘れていない。しかも二つ掘るつもりだったから、実際には4分の1しか作業は進んでいないことになる。
 掘るペースは決して遅くはないが、こんな風に邪魔されているのでは、作業が終わるのは一体いつになることやら。
 ため息、本日五度目。
 溜息をつくと幸せが逃げる、という言葉が真実なら、アルの幸せはとうの昔に尽き果てているだろう。

「そうだな。もうお前が穴を掘る姿も見飽きたし、さくっと終わらせるか」
 言うが早いか、コーダはヒールの高いブーツの踵でこん、こん、と二度地面を叩く。
「おわっ」
 アルの小さな悲鳴。彼の足元にあったはずの土が、ごっそりなくなったのだ。
 突然足場がなくなり、腰の半ばほどまである穴の中でアルがたたらを踏む。
 彼が大勢を立て直した頃には、ちょうどコーダの目の前に二つの穴が開いていた。そのうちの一つにアルがはまり込んでいるという状態だ。
 開いた穴の分の土は何処に行ったかと言えば、二つの穴から一メートルほど離れた場所にこんもりと山になっている。
 まさにさくっと。あっけなく終わってしまった穴掘りに、アルは唖然とすると同時に、コーダを睨んだ。しかしその直後、六回目のため息を吐きながら脱力。上半身を穴の外で弛緩させ、ぐったりと頭を地面につけた両腕の上に降ろす。
「そうだよな、お前、魔法でこんなの簡単にできるんだよな……
 って、だったら何でわざわざ俺に穴掘りなんかさせたんだよ」
「ああ、なかなか愉快だったぞ、お前の穴掘り姿は」
「お前な……!
 ……もういい」
 アルのため息七回目。
 もはや幸せなど、行くなら好きなだけどこへでも行ってしまえと言わんばかりの大盤振る舞いだ。
 穴の外に両腕をついて足に力を込めると、ひょいとひと飛びに穴から飛び出る。穴の淵を掠めることすらなく軽く着地すると、手についた土を軽く払う。

「早く土に戻してやらないと、弱ると困るからな。さっさと埋めるぞ」
「ああ、がんばれ」
「お前な……!」
 結局は一人でやることになるのだ。噛みついたのは一瞬のことで、その後は黙々と一人作業を始める。
 緑の葉が生い茂った小ぶりの――とはいえ、それでもアルの胸ほどまではあったが――木の株を、ゆっくりと穴の中に沈めて行く。一株が終われば、もう一株も。
 あまり衝撃を与えないように、穴の淵にぶつけたりしないように、時間をかけて木は二本並んで立った。

「よし、と。こんなんでいいだろ。
 ……最後はお前がやれよ」
「やれやれ、まったく手のかかる」
「だからお前な……!
 ……もう、いい。手がかかっても何でもいいからさっさとやってくれ」
「まったく仕方のない。アルがこれ以上拗ねる前にやってやるか」

 ひとこと多い。
 そうアルが愚痴をこぼすよりも早く、コーダは小さく口笛を吹いた。
 軽快なその音に誘われるかのように、風が緩やかに吹き頬を撫でた。次の瞬間には穴の傍で山になっていた土は消えてなくなり、かわりに株の周りにあったはずのの空洞には何の違和感もなく土がかぶさっている。
 あまりにも鮮やか過ぎる手際の良さに、アルが疑問の言葉を口にしたのは無理からぬことだっただろう。

「……最初から全部お前がやれば早かったんじゃないか?」
「馬鹿言うな。一人で準備して一人で植えて、何の意味がある」
「俺、何かいた意味あったのか」
「まあな」
「そうか。なら別にいいんだが」
 そこで会話が途切れた。二人はしばし、無言のままに鮮やかな葉をつけた二株の背の低い桜を見やる。
 決して居心地の悪くない沈黙。初夏の日差しは木陰に紛れ、僅かに湿気を孕んだ涼やかな風が木々の間を通り抜けた。

 先に口を開いたのは、コーダだった。
「……花はいつ頃咲くだろうな」
「ここまで育ってれば、春になれば毎年咲くだろう。
 ……まあ、ここにある他の桜と同じくらい大きくなるには、それこそ何十年とかかるだろうがな」
「そうか。アル、お前ちゃんと毎年確認しに来いよ」
「は? 何をだよ」
「この木がちゃんと成長してるかに決まってるだろうが」
 アルが眉を顰めた。何言ってるんだこいつは、と言わんばかりに。
「別に俺一人が来なくてもお前も一緒に見に来ればいいだろうが。毎年」
「ああ……」

 風が林立する木々の間を吹き抜ける。青い香りを含んだ風が白い雲の浮かぶ空へと、枝を葉をざわめかせながら駆け抜ける。


「そうだな」


 季節は初夏。この二本の桜に花が咲くのは、今は遠い季節の先だ。

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