最期に思うのは



――xxx


 テーブルの上に転がるいくつもの瓶。そのほとんどが、中は空。
 がらんどうになった瓶は窓から差し込む月明かりに、様々な色を溶かし合わせていた。

 テーブル脇の椅子には年若い青年が2人、向かい合うような形で腰掛けていた。1人が空の瓶を弄いつつ、片手のグラスから酒を一気に煽る。

「なあ、クレス」
 空になったグラスに更に酒をそそぎながら、青年がもう1人の青年――クレスに話しかける。既に若干酔いが回っているのか、青年の目元は微かに赤らんでいた。
 それでも口調や意識ははっきりしているらしく、酔いどれの戯言として言葉を流すのは難しそうだと、クレスは内心で息を吐いた。

 水のように酒を飲み続ける青年をちらりと眺めながら、クレスは自身のグラスに注がれた酒をちびりちびりと舐めるように飲んでいた。
 別に同じように飲んでいても自分は酔わない自信があったが、目の前でこうも浴びるように飲まれたのでは、張り合うように飲むのも馬鹿らしく思えたからだ。だからせめて、酒の味を楽しむようにゆっくりと飲む。

「なに」

 クレスの静かな問いに、先に話しかけてきたというのに青年はなにも答えない。
 窓から降りそそぐわずかな月明かりが照らす、己の手の中のグラスを黙って見つめている。
 透き通った琥珀色の液体が青白い光と溶け合い、一種幻想的な燐光に見惚れたように無言を貫いていた。

 やがて興味を失くしたかのように再び一気にグラスの酒を煽ると、同じ動作で酒を瓶からグラスへとそそぎこみ、そこで漸く口を開く。
「この戦いが終わったらさ、やっぱあの人、あいつと一緒に行くんだよな」
 再びグラスの中の酒を眺める。ゆらりゆらり、手の動きに従って揺れる水面。月明かりに青白いそれは、どこか彼らの故郷とも言える海に似ている。
 その揺らめきを眺めながら、クレスもまた青年の言う『あの人』と『あいつ』のことを思い出していた。

 青年が『あの人』と称した黒髪の麗人に懸想していることは知っている。というか、青年自身が彼女に会う度に好きだの結婚してくださいだの好意を顕にしているのだから、知らないはずがない。
 そして同時に、『あいつ』と青年が決して名前で呼ぼうとしない赤髪の男のことも、クレスはよく知っていた。
 知っていたからこそ、すべてが終わった後あの2人がどうするかということに想像もつくし、青年の甘やかな恋が決して実らないであろうこともわかっていた。

 青年は決してあの男のようにはなれない。
 青年には大切なものがあり、それを守る強い意思がある。
 だからこそ、彼女以外何も持たないあの男と同じ位置に立つことはできないのだ。
 互いが互いのためだけに在るような、あんな深すぎるほどの関係に入り込む余地など、最初から青年には存在しなかった。
 すべてを捨てて対等な位置へと上り詰めるには、青年の手にしたものは彼にとって大切でありすぎた。

「だろうね」
 クレスがにべもなく静かに言い放つと、青年は『だよなー、そうだよなー』と呟きながら、狭いテーブルの上に突っ伏した。押されて、いくつかの瓶がテーブルを転がる。

「シーヴァ?」
 突っ伏して動かなくなった青年、シーヴァに向けて、クレスが訝しむような声をかける。
 あれだけ酒を飲んだのだ。酔いが回って眠ってしまったのかもしれない。
 そう考え、なにかかけるものでも持ってこようかと思ったところで、シーヴァが身じろいだ。
 頭をもたげ、視線を窓の外に向ける。そこに浮かぶ月を眺めているようにも見えたが、彼の視線はどこか更に遠くを見ているようにも思える。
 普段の年齢不相応な幼い態度からは想像もつかないその姿に、クレスは顔には出さないものの確かに戸惑っていた。
 本当にごくまれに、シーヴァはこんな表情をする。そんな時は決まって彼らしくもないことを考えているのだ。

「なあ、クレス、オレさ……オレ、ほんと好きだったんだよ」
「うん」
「マジでさ、なんつーか、なんて言ったらいいかわかんねーんだけどさ。
 でも、オレのとあいつのとは違うんだよな。オレのはスゲーとか、かっこいいとかそんなんもあるけど、あいつはあの人にそんなん思ってるわけじゃなくて……
 あーもうオレ、なに言ってんだろ。マジでわけわかんねー」
「うん、知ってるよ」

 ――わかってるよ。お前の言いたいことくらい。

 クレスは口には出さずにそう思う。長い間一緒に生きてきたのだ。クレスの考えていることがシーヴァにわかるように、シーヴァの考えだってクレスにはわかる。

 重さが違いすぎたのだ。
 想いに重さがあるとしたら、己の全てを捧げるようなあの男の想いと、他に捨てることのできないものを持ったシーヴァの想いとでは。
 どちらも間違いではない。
 でもきっと、シーヴァの想いはより多くの人を幸せにするためのものだと、クレスは思う。
 あの男の想いは彼女1人を幸せにするためのもので、彼女1人を幸せにできればそれで十分だという想いだ。
 シーヴァの想いはそうではなかった。シーヴァは欲張りだから、1人きりではきっと足りない。
 きっと、ただそれだけのことだったのだ。

「でさ、オレ思ったんだよな。
 オレが死ぬ時――つっても今すぐ死ぬ気なんかねーぜ? オレは80まで生きてベッドの上で死ぬ気満々だからな。
 まあんなこた今はどうでもいいんだけど。
 んでさ、オレが死ぬ時はさ、お前のこととか、船の皆のこととか、そんなん考えながら死ぬと思ってたんだよな。
 でも、最近はちげーんじゃないかって。
 オレが死ぬ時、ホントにホントの最期の時には、オレきっとあの人のこと考えて死ぬんだろうなって」

 たとえばもしこの先、誰かと結婚するような事があっても。
 その誰かとの間に子供ができて、孫ができて、どんなに大切な、守りたいものができたとしても。

 最期の最期に思うのはきっと、自分が一生でもっとも情熱をそそぎこんだ人のことなんだろうと。

 それはもしかしたら裏切りかもしれない。
 自分と一緒にいてくれる者達に対しての。
 自分を想ってくれる者達に対しての。

 けれど、それでも。


 それでも――


「いいんじゃない、別に」

 ぽつりとこぼされたクレスの呟きに、シーヴァは驚いたように目を見開いてクレスを見た。
 先程とは対照的に、クレスがグラスにそそいだ酒を一気に煽る。クレスはいまだ素面同然の状態で、呆然としたシーヴァに向けて艶やかな笑みを向ける。

「これから、80までだっけ? それまで皆を守って、皆を想って、皆のために生きて行くんだろ? だったら、最後の一瞬くらい自分の好きなこと考えたって、誰も咎めやしないさ」
 皆そんなに狭量じゃないしね、と呟いて、自身のグラスに酒をつぎ足す。グラスになみなみそそいだところで、それにさ、と続けた。

「あの人の次くらいには、俺達のことを考えてくれるんでしょ?」

 にやりと笑ってクレスは、今度はシーヴァのグラスに持っていた瓶の中身をなみなみとそそいだ。
 一瞬呆気にとられたような顔をしたシーヴァが、同じようににやりと笑う。腕を動かすと、ぎりぎりまでそそがれた酒の水面が揺れ、少しこぼれて滴り落ちた。

「当然だろ、相棒」

 二人でグラスを鳴らし、一気に飲み干した。


 今夜は潰れるまで飲もう。そんな夜も、たまにはいい。

Back