移ろい征く空の色
Side Story

Master and Pupil




「ねえ鬼師匠」
 弟子が割と不敬な呼び名で師を呼ぶと、
「んだよ馬鹿弟子」
 師は思いっきり馬鹿にした台詞で弟子を呼んだ。なるほど、この師匠にしてこの弟子ありきだ。
「私は何でこんなクソ面倒臭い事態に陥っているのか、是非ともお聞きしたいんですが」
 丁寧なのかそうでないのかいまいち判断しがたい台詞を言って、弟子は辺りに視線を奔らせる。
 前に三人、後ろに二人、木陰に隠れているのが二人で恐らく七人といったところ。そう、弟子は予想した。
 どいつもこいつもまあ目つきが悪くて下品な顔だこと。
 口には出さなかったが、代わりにはふ、と溜息はこぼれでた。これくらいは許されていいはずだ。
「何でって、そりゃあな」
 一度言葉を切ると、師は顔に凄絶な笑みを浮かべながら、鋭い黒瞳で男達を睥睨する。
 きっとこの笑みを見ただけで、気の小さい人間は逃げ出すに違いない。
 弟子は思う。そしてやはり口には出さない。誰だって命は惜しいに決まっているのだ。
 そして師は口を開く。
「こいつらがオレの行く道に転がってるからだろうが」
 何とも俺様な台詞を吐きなすった師は、その上で更に男達を思いきり嘲笑った。
 ああもうこれ以上挑発しないでくださいだとか、そういう弟子の思惑を完全に無視して。
 案の定男達は腹を立てたらしく、喧しい声で何かを喚き散らしている。
 生憎そんなどうでもいいことを聞き入れる耳は持ち合わせていなかったので、師弟はそれをまともに聞いちゃいなかったが。
 この男共、街道近くとはいえこんな街から離れた所に屯しているということは、どうせ真っ当な職についているわけがない。どうせ野盗だかなんだかの、所謂盗賊崩れなのだろう。
 頭悪そうなことこの上ない。実際耳にとびこんできた単語をところどころ聞くに、あまり頭がよさそうには思えなかった。
「ねえ鬼師匠」
 弟子はもう一度最初と同じ調子で呼んだ。
「んだよ馬鹿弟子」
 師はもう一度最初と同じ調子で返した。
「今日は一体どういった理由で、わざわざ街道を外れてこんな面倒な道を進む気になりやがりなさったのか、是非ともお聞きしたいんですが」
 最早文法上もそれってどうよな台詞を吐いて、弟子は師に問うた。
 もうどうにでもなれと、そんな投げやり感漂う台詞だった。
「何でって、そりゃあな」
 あ、デジャヴ。
「当然オレの気分に決まってんだろうが」
 あんたの気分で決めた道って、大概こういう面倒なのに遭遇するような気がするんだけど。
 弟子は思った。しかし口には出さない。出さないったら出さない。自身の身の平和のために。
「おい馬鹿弟子」
 今度は師の方から声がかかった。
「何ですか鬼師匠」
 弟子は返すが、その表現――鬼師匠という表現――が余りにも正しかったことを直後、改めて認識することになる。
 聞き返さなきゃよかった。
「お前、あいつら全部片付けてこい」
「はあ!?」
 この女は――そう、師は女だった。弟子的には信じ難いことに。しかも神様は何をまかり間違ったのか、世間一般の目で見てもかなりの美女だ――言うに事欠いて何を言うか! 弟子は驚きのあまりくらりと眩暈がしそうになる。
 こともあろうに、まだ十歳やそこらのいたいけな少女に――そう、弟子は少女だった。確かに十歳やそこらの。いたいけな、とは本人のみの言だが――大の男七人を一人でどうにかしろと。
 鬼か、あんたは。弟子は思うが、最初に鬼と言い出したのは弟子本人だ。他に彼女をそう呼ぶ人間が世界のどこかに、いや、あちこちにいそうだけれど。
「別にタダでやれとは言ってねぇだろうが。
 全部一人で片付けられたら今日の訓練はチャラでいいぞ」
「是非ともやらせていただきます!」
 急に元気になった。しかしそれには相応の理由がある。
 この師の訓練は、弟子に言わせれば異常なのだ。

 曰く、魔物が我が物顔で跋扈する夜の森に、たった一人で放り出されたりだとか。
 曰く、夜の山道にナイフ一つ持たされて、そのままコンパスもなしに下山させられたりだとか。
 普段は師との組み手などが主なのだそうだが、それで作った痣は数知れず、むしろ痣ならいい方だとか。

 師はとてつもなく強いのだ。それこそ、ここにいる男達なんか瞬殺といっていいほどの速さで倒してしまえるくらいに。
 そんな師の元でかれこれ一年以上修行している弟子だから、実は決して弱いわけではない。いたいけな、とか思っているのはきっと本人くらいだろう。
 何せ師の訓練よりも、大の男七人を相手取るほうが楽だと思うくらいなのだから。
「武器は刃を使わなければナイフだろうと何だろうと好きに使え。魔法はまあ、攻撃にはできるだけ使うな。あとこの程度で一刻過ぎたらペナルティな。
 んじゃ、始め」
 嫌になるほど気軽な戦闘開始の合図。最後の方にペナルティ、とか聞こえたが、弟子は気にならなかった。師の言う通り、この程度の相手に一刻以上なんてかけていられないのだ。
 生憎時計なんて師も弟子も持ち合わせてはいないが、そんなもの感覚で大体分かる。経験とは素晴らしい。

 始め、の掛け声と共に、即座に右に駆け出した。男達の存在を完全に無視して。無視して、と言うのは正確ではない。気はちゃんとそちらにも向けていた。
 一目散に駆けた先にある、拳大の石を拾う。拳大とは言え、少女の小さな手は大人のそれより一回り以上小さい。だが武器にするには十分だった。
 腕を強く撓らせて、体全体を使うようにして投げる。狙いは寸分違うことなく、一人の男の膝に命中した。すぐさま傍に転がっていた別の石を投げる。
 相手が女でそれも子供だと油断している間が勝負のうちだ。いくらなんでもまともな武器も使わずに、武器を持った大の男七人と真っ向から全力勝負で戦うだけの実力は、まだ彼女にはない。
 とにかく一人でも多く削ることが重要なのだ。どんな人間だって関節を鍛えることはできない。膝を痛めては誰だって素早く動くことはできなくなる。
 恐ろしいほど的確な投擲で続けざまに三人目を無力化し、更にもう一つ石を投げる。しかし最後の一投は惜しくも躱されてしまった。だが三人減らせただけでも十分な成果だろう。
 残りは四人。これならなんとかいけそうだ。心の中で呟きながら、上から振り下ろすような斧の一撃を後ろに飛び退って躱す。
 更に追いすがってきたので、今度は風を“呼んで”高く飛翔するように跳び、相手の背後に回り込んだ。顔の横に垂らした髪が、動きと共にふわりと浮いて、重力に逆らわず元の通りに落ちる。
 風を従える彼女の魔法。それに頼る戦いはしないようにと幾度となく師に言われている。自身の能力で戦う力を身につけたその上で、こういった応用技術を磨き戦いに生かすことこそが魔道の真価なのだ、と。
 魔道に頼り切った戦いでは、いずれ確実に無理が生じる。とはいえ、使えるのならば使えるようにしておくに超したことはない。呼吸のように使えるようにと、術の訓練は欠かさず行ってきた。
 その甲斐あってか、滞空時間を引き延ばしたり、攻撃として使えるほどに強い風は長い詠唱で集中力を高めなければ使えないが、この程度なら軽く呼ぶだけでも風は答えてくれる。
 振り返った男の鳩尾に思いきり回し蹴り気味に蹴りを叩き込んだ。新調したブーツに仕込まれた錘が遠心力を増し、本来以上の威力を引き出す。
 次に移る途中、邪魔だったので先程膝に石を当てて半無力化した男達を、殴ったり蹴ったりして一人ずつ気絶させていく。まともに動けない相手ならこれくらいは容易い。
 近寄ってきた男には、今度は腰のポーチから引き抜いたナイフを投げて威嚇した。当たりはしなかったが、怯んで一歩下がったのでまあ良しとする。当てたら反則だし。
 こそこそと後ろから回り込んできた男がいたが、とんだ素人だ。気配を全く消せていない。こっそりと鼻で笑うと、振り下ろされた鉈を半身を捩って躱し、勢い余ったところで足をひっかけてこかしてやった。
 ついでに器用に掠め取った鉈を鼻先に振り降ろしてやると、白目を剥いて失神した。情けない。情けないついでに股越していくのが面倒だったので踏みつけて行く。
 残るは二人。そろそろ弟子が見た目通りのただの少女ではなく、自分達の脅威となり得る相手であることに気づいたのか、安易に向かってはこない。今更のような気もするが。
 漸く、男達が動いた。一人では危険だと思ったのだろうか、二人同時、左右からかかってくる。賢明な判断ではあるが、少女一人にそのざまはいかなものか。
 進むか退くか、考えたのは一瞬。戦いの場ではその一瞬こそが命取りになるのだから、たとえ雑魚といえどそれ以上時間をかけるわけにはいかない。
 迷わず一歩踏み出した。まさかここで前に出るとは思っていなかったのか、男達が一瞬怯む。当たりだ。
 手元に隠し持っていたナイフを、柄を相手側に向けて投げ放つ。眉間を狙ったつもりだったのだが手が滑った。
 いや、決してわざとじゃない。唾を飛ばしながら襲い掛かってくる男の顔が見るに堪えなかったとか、そういう理由じゃない、はずだ。
 逆向きに投げられたナイフは鼻柱に当たり、ごき、と嫌な音がした。痛そうだ。
 その間にもう一人が襲いかかってきた。だがそんなことは予測の範疇だ。大きく振りかぶってきた腕を回し蹴りの要領で軽く払う。
 そこから先は、あたかも軽業を見ているかのような光景だった。地面についていた足をぽんと蹴り放つと、男の腕を踏み場にして更に跳ぶ。伸身のまま宙を舞うと、視界がゆっくりと反転した。
 高い。
 首の後ろから緩く編まれた黒髪が、動きに合わせて優雅に揺れた。空の青さに、劣らぬ鮮やかな蒼の瞳が一度瞬く。
 男の頭上より更に高く跳び上がると、体を曲げて膝を抱えくるりと宙で半回転。見事な着地は、思わず上を見上げた男の顔面の上で行われた。
 ずべぐしゃっ
 筆舌に尽くし難い音がして、男の体が崩れ落ちた。顔の上にはない胸を張って立つ弟子の姿。両手を上に高々と上げ、決めポーズもばっちりだ。
「よーし、これでしゅーりょー……」
 では、なかった。
 師の背後の茂みが、突然がさがさと音を立てる。
 気配に全く気づけなかった。今までの七人よりも、恐らく実力は上。男は幅広のダガーを振りかざし、まるでやけくそのように物凄い勢いで背後から師に襲い掛かる。
「くっそおおおぉぉぉぉぉ!!」
「っ危ない!!」
 弟子が悲鳴にも近い声を上げる。
 そこから先は、全てが一瞬の出来事だった。
 師が後ろを振り向きもせずに左腕を振り上げる。鋭いダガーが腕を切り裂くかと思いきや、刃は腕に当たるとガキンと鋭い音を立てて止まった。どうやら服の下に金属製の籠手が仕込んであったらしい。
 にやりと笑みを浮かべた師の顔に、弟子は項の毛が逆立つ思いがした。黒い瞳が爛々と輝いている。腕をそのまま振りきると、勢いのままに振り返った師は左足を軸に今度は右足を振るう。しなやかな足が鋭い蹴りを見舞う。
 弟子は目を瞠った。一体何度蹴りを打ち込んだのか、まるで見えなかった。なんて速さだ。
 恐るべきことに彼女に師事し始めた頃よりも、その所作は更に磨きがかかっているように見える。あの頃既に、人としての限界を超えているとすら思ったはずだが。鬼というより最早化け物。
「……だから危ないって言ったのに」
 弟子がぽつりと呟いた。どうやら先程の警告は、師に対してではなく相手の男に対してだったらしい。
 弟子と戦っていれば、あんな人間離れした攻撃は受けなかっただろうに。運の悪い男だ。
 師は何事もなかったかのように平然とそこに立っていた。やっぱり化け物だ。そうに違いない。
「オイコラ馬鹿弟子ィ!!」
「ハイィ! 何でしょうかお師匠様!?」
 怒りのこもった師の声に一瞬化け物、とか思っていたのがばれたのかと弟子は激しく怯み、思わず声が裏返る。落ち着いて考えれば、声に出していないのだからそんなはずはなかったのだけれど。
「テメェ一匹取りこぼしてんじゃねぇか。罰としてお前、こいつらの処置考えろ」
「はいっ! って、えぇー……」
 反射のごとく返事をして、返事をした後で言われた言葉を考えてみて、思わずそう呟いていた。
 ここは既に街から大分離れている。折角野盗を倒したわけだが、街に連れて行って報酬を受け取るのは難しそうだ。となると、処置を考えるのもなかなか面倒に思える。
「えー、じゃねぇ。それとも何か? お前これからいつも通りのメニューやるか?」
「わかりましたよぅ。考えりゃいいんでしょ考えりゃ」
 ぶつくさとぼやきながらも、弟子は黙って頭を働かせ始めた。
 師とて今更街に戻るつもりもないだろうから、街につれて行くのは無理。かといってこの場に放っておいても、また被害者が増えるだけ。しかし流石に殺すのは寝覚めが悪い。
 ややあって、ああ、と声を上げた。
「ロープか何かでぐるぐるに縛って、街道にでも転がしとけばいいんじゃないですか? この近くの街道ならそこそこ人通るし、見つかる前に餓死ってことはないと思いますけど」
 下手をすると数日放置ということもありうるが、とりあえず死ななければいいらしい。
「おお、んじゃそれな。お前やってこい」
「……師匠、貴女私にこいつらを一人で運べと?」
 弟子が指さした先には転がる大の男計八人。揃って弟子よりも頭二つ分は背が高い。流石に彼女一人で運ぶというのは、荷が勝ち過ぎているというものだ。
 面倒臭そうに師が頭を掻いた。短い黒髪がくしゃりと揺れる。
「ったくしゃーねーな。運ぶのは手伝ってやるからさっさとそいつらふん縛っとけ」
「はーい」
 片手を上げて、よいこの返事。
 ここで駄々を捏ねるのはいけない。下手をすると、師の機嫌を損ねて本当に全ての作業を一人でやる破目になる。人間妥協が大事なのだ。
 幸いここは街道からあまり離れていない森の中。男達を運び出すのは、そう難しいことではないだろう。
 傍に落ちていた蔦を拾い集めながら、この師に合わせた無茶苦茶な行動パターンが日常になりつつあることに、仕方がないとは思いつつも弟子は溜息を吐きたくなった。
 少し離れた所では師が仁王立ちで、さっさとしろと急かしてくる。この野郎、と、罵る言葉を飲み込みつつ、弟子は動かす手を早めることに専念するのだった。