「おーい親父! 久しぶりだなー、オレ様が来てやったぞー」
 夕刻の酒場、食堂を兼ねたそこは夕食をとる客達でおおいに賑わいを見せている。
 その喧噪の中でもすぐに耳につく、若々しく張りのある声。ずいぶんと男らしい言葉遣いに反して、それは女性特有のアルトだった。
 酒場の隅、ギルドの窓口に陣取った男が目を向ければ、妙齢の女性の姿がそこにはあった。肩口で揺れる、絹のような滑らかさを見せる漆黒の髪に、まだ張りのある白い肌。見た限りでは20代半ばといったところ。
 だが男は知っている。二十年ほど前、女が一人の男に連れられて初めてこの街にやってきた時、女がすでに十歳前後の娘だったことを。
 つまり彼女の実年齢は三十前後ということになる。見た限りでは、とてもそうとは思えないにしても。
「親父ってな……何度も言うが俺はこれでもまだギリで三十代……」
「あーはいはい。わかったわかった。んなもん何度も聞いて耳タコだっつの」
 ターコターコと言って耳を塞ぐ様子からは、まるで反省の色が見えやしない。それ以前に年相応の行動にすら見えない。
 耳の穴を指でふさぎながらぶつぶつと文句を零す女にため息をこぼしつつ、相変わらずだな、と男は心の中で笑った。
 女に会ったのは決して一度や二度のことではない。いい加減そういう性格だと把握してしまうくらいには、女とのこういった冗談じみた会話を重ねていた。
 会う度に似たような会話を繰り返して、結局呼び名が改善されないのもすでにわかりきったことだ。
「ってかお前、飲み過ぎだろ」
「何言ってんだよ。こんなもん寝酒にもなんねっつの」
 男が女の手元を見てうげっとした顔を見せたあと言うが、即座に返された。
 口の悪さや態度が相変わらずなら、酒の量も相変わらずだった。ボトル一本の酒は、寝酒どころか食事中に飲むにしても1人では多いだろう、普通。しかもその酒のキツさは尋常ではないのだ。この女の体は絶対普通じゃない。
 そう言えば、どうせこんなもの飲んだ内に入らないと言い返されることは目に見えていたので口にはしなかった。
 というか、注文制の店で席にもつかずに手に持っているその酒は、もしかしなくとも持参品なのだろう。つまり常にそのくらいは常備して飲んでいるということか。
 やはり相変わらずというかなんと言うか、色々な部分でむちゃくちゃな女だった。
 軽口の会話が終わると、女はきょろきょろと辺りを見回し始めた。席を探しているようだが、夕食時の今ではカウンターからテーブルまでびっしりと人で埋まっている。
 来た時間が悪すぎた。この状況だと、しばらくは座れそうにない。
 ――いや、そうでもないか。
 男は心の中で否定した。一か所だけ、ここからは観葉植物の陰になっていてわかりにくいが、空いている席がある。食堂の隅の方にあるテーブル席だ。天井に吊るされている電灯の光もそこまでは届かないのか、若干暗がりになっていた。
 ちょうど隠れている席の向かいに一人座っているが、確かに空いていると言えば空いている。
 だが、あの席は……
「お、なんだよあそこ空いてんじゃねえの。らっき。やっぱ日頃の行いがイイからだよなー。んじゃ親父、また明日あたり来っから。またなー」
「だから俺はまだ三十代……っておいまてあの席は」
 男に言わせればふざけるなといった台詞をいけしゃあしゃあと呟いて、目ざとく席を見つけた女は男の言葉を最後まで聞くことなくそちらの方へと歩いていく。
 もはや何を言ったところで無駄なのだろう。人の話を最後まで聞かないところも相変わらずだ、と、男は苦笑しつつその後ろ姿を見つめた。
 しばらくは、騒がしい日々になりそうだ。それは同時に、退屈しない日々の同義語でもあった。